代表挨拶
2002年、日本でW杯が行われた年、一人の「サッカー選手」が日本を飛び出した。行き先は、「ウルグアイ」。
日本から、約25時間。日本からアメリカ・ブラジル経由でウルグアイへ。
一人で初めて乗る飛行機、一人で行く初めての海外。
英語も喋れない、もちろんスペイン語も・・・。
少しの期待と、とても大きな不安を抱え、ウルグアイに降り立った。
周りを見ても外国人だらけ、言葉も全くわからない、日本とは空気も、街の匂いも違う。
「自分は、ここでしっかりと生活が出来るのだろうか?」、「自分のサッカーは、ここで通用するのだろうか?」
本当に大きな不安を抱え、練習に参加した。
チーム名は「インテル・ナシオナル」ウルグアイ代表選手が何人も在籍していて、トヨタカップにも出場し、世界一になった事もある「名門クラブ」だ。
グランドは、雑草だらけ、ボールもまともに転がらない。それでもみんなが当たり前に上手い。
周囲に負けじと、自分もボールを呼んでプレーしようとする。しかし、ボールが来ない。呼んでも、呼んでも、ボールが来ない。
それならばと、自分でボールを奪いに行くが、弾き飛ばされる。それでも、何度もボールを奪いにチャレンジする。自分のプレーが全然通用しない。紅白戦にも出してもらえない。
とても悔しかった。だから、とにかく必死に練習した。練習が終わってもボールを蹴り、強くなるために筋トレをして、練習が休みの日は一人で走り込んだ。
その結果、少しずつボールも来るようになり、紅白戦にも呼ばれるようになってきた。紅白戦の対戦相手には、ウルグアイ代表の選手が何人もいる。とにかく激しい紅白戦。
一つのパス、一つのドリブル、一つのシュート、人生を懸けた一つ一つのプレー。
何故、南米のチームがこんなにも強いのか、わかった気がした。
「サッカーに人生を懸ける」、「サッカーで家族を幸せにする」、「サッカーでお金を稼ぐ」。 南米の選手は、生活をしていく為に「サッカー」がある。
日本にはしっかりとした教育があり、たくさんの職業があり、生きて行く為には困らない。
そこが、日本との違いなのだろう。約
1年間、そんな素晴らしい環境で、サッカーをし、生活をして、色々な事を学びました。
サッカー選手としても、とても強くなれたし、一人の人間としても、とても成長する事が出来ました。
そして、日本に帰ってから、「プロサッカー選手」としてサッカーをすることも出来ました。
「サッカー」から多くのことを学び、「サッカー」に成長させてもらいました。
「サッカー」に出会えた事に感謝の気持ちを持ちながら、今度は指導者として、海外での経験、日本での経験の全てを選手に伝え、「サッカー」を通して素晴らしい経験が出来るように、そして、「海外で通用するサッカー選手」を育てていきたいと思います。
グローバルフットボールクラブ
代表 山田智也